ピエール・ジャンヌレの家具が世界的に人気となった理由と背景とは

Date 2022.04.18

近年注目を集める建築家ピエール・ジャンヌレの家具。世界的にコレクターアイテムとして人気が高くなった背景、インドのチャンディガール都市計画について、また従兄弟である建築界の巨匠ル・コルビュジエとの関係についてご紹介します。

ピエール・ジャンヌレの生い立ちとル・コルビュジエとの関係とは

ル・コルビュジエとピエール・ジャンヌレ

ピエール・ジャンヌレは1896年、スイス、ジュネーブ生まれの建築家です。建築界の巨匠ル・コルビュジエの9つ下の従兄弟に当たります。

ジュネーブの美術学校で建築を学び、絵画、彫刻、建築で最優秀賞をとるなど大変優秀な成績をとっています。1920年にはジュネーブを離れパリで建築を学び、その頃、オーギュスト・ペレとその兄弟が経営していた建築会社に勤め、1922年からは従兄弟であるル・コルビュジエと事務所を設立します。また、1927年からは事務所に入所した建築家のシャルロット・ベリアンと3人でLCシリーズに代表される家具のデザインなどを手がけています。

第二次世界大戦中、ル・コルビュジェはナチスに協力的なヴィシー政権を支持する一方、ピエール・ジャンヌレはフランスのレジスタンス運動に参加し異なる道を進むことになります。ピエール・ジャンヌレはその後独立し、建築家のジャン・ブルーヴェと共に活動します。戦後のインドのチャンディガール都市計画を依頼されたル・コルビュジエは、ピーエル・ジャンヌレを監督として迎えることを条件に引き受け、ピエール・ジャンヌレはチャンディーガルチーフアーキテクトとして携わります。

ピエール・ジャンヌレとル・コルビジェとの関係とは

パリのラロッシュ邸

従兄弟であるル・コルビュジエとは子供の頃には数ヶ月一緒に過ごしたりと家族ぐるみの付き合いがありました。

パリで事務所を共に立ち上げ活動し、ラ・ロッシュ邸などを多くの建築を手がけますが、第二次世界大戦を機に異なる道を歩み始めます。しかしお互いに尊敬し合う気持ちは無くならなかったようです。ル・コルビュジエが社交的な性格だったのとは対照的に、ピエール・ジャンヌレはシャイで内向的な性格であったと言われています。ル・コルビュジエは自身の書籍でピエール・ジャンヌレについて「お互いを理解している2人の男性は、5人が1人で働くよりも強い」と述べ、強い信頼関係で結ばれてたことがわかります。また、ピエール・ジャンヌレは、「ル・コルビュジエとの出会いは行動への道を開いた。」と語っているように、対立し合いながらも柔軟に謙虚にお互いを認め合っていたことが伺えます。

インドのチャンディーガル都市計画におけるピエール・ジャンヌレの役割とは

インド、チャンディガールのル・コルビュジエの建築

1947年のインド・パキスタン分離独立の際にパンジャーブ州がインドとパキスタンに分離し、かつての中心地ラーホールがパキスタン側になってしまったため、新たに州都を建設する必要に応じ計画されたのがチャンディガール都市計画でした。独立インド初代首相のジャワハルラール・ネルーはチャンディガールを「過去の伝統に束縛されない、将来の新しい国家の信条のシンボル」だと宣言し、チャンディガールの都市計画が進められました。

 

不慮の事故により最初に依頼されていたアメリカ人建築家のアルバート・マイヤーとポーランド出身マシュー・ノヴィッキは計画は進めることが困難となり、1950年にル・コルビュジエがチャンディガール都市計画を引き継ぐことになります。この都市計画を引き受ける条件の一つが、ピエール・ジャンヌレが現地で監督を行う事でした。ル・コルビュジエが年に1~2回、計23回インドを訪問したのに対して、ピエール・ジャンヌレは1951年から14年間インドに滞在し1965年には病気のためにインドを離れますが、本人の意志に従い遺灰はチャンディーガルのスクナ湖に撒かれました。

 

チャンディガールでのピエール・ジャンヌレの功績と活躍

ピエール・ジャンヌレとル・コルビュジエ

ピエール・ジャンヌレは現地の人々、気候、素材などを研究し、建築だけでなく建物内の家具も多く手がけました。当時、同時期に大量の家具が必要となったために、現地で簡単に入手できたチーク素材で、図面と大まかなアドバイスのみで現地のさまざまな工房の職人が制作可能なデザインを考案しました。そのため、大きさや角度などが異なる作品が多く生産されました。

2016年にル・コルビュジエの建築と計画都市としてチャンディガール都市計画も世界遺産に登録されましたが、注目されるのはル・コルビュジエばかりで長い間ピエール・ジャンヌレの功績に光が当たることは残念ながらありませんでした。ではなぜ近年ピエール・ジャンヌレの家具が注目されるようになったのでしょうか。

ピエール・ジャンヌレの家具が世界的人気となった理由とは

ピエール・ジャンヌレの椅子

チャンディガールにおける家具は短期間に大量に制作する必要があったことから大きさや角度が異なる家具が作られていたのは先述した通りですが、デザイン的価値は残念ながら認められておらず、年月を経て大量生産できるプラスチックの椅子などに代わり、チーク素材のジャンヌレの家具は薪にされてしまう程でした。

しかし、2000年代初頭にパリのギャラリーがこれらの家具に注目し、買付、収集を始めます。また研究を重ね、2010年から2015年にかけて作品集を出版しエキシビジョンを行いました。これが大きなきっかけとなり、ピエール・ジャンヌレは脚光を浴びるようになります。世界的に影響力のあるラフ・シモンズやジュセフ・ディラン、ヴィンセット・ヴァン・ダイセンなどのクリエイターが注目するようになり、世界中へ広まっていったのです。

また、現地の工房や職人によって作られた家具はそれぞれに個性があり、現在はオリジナルを特定することがプロでも困難であること、また、人気に火がついてインド政府が輸出を制限したことなどにより、当時作られたオリジナルの家具が入手困難になりその価値をより高いものにしていると考えられます。

WELLBEING TOKYOでお取り扱いしているピエール・ジャンヌレの椅子

知れば知る程興味が湧いてくるピエール・ジャンヌレの椅子をWELLBEING TOKYOではお取り扱いしております。

ご興味ある方は是非オンラインショップをご覧下さいませ。

 

上段
ダイニングチェア  x4脚

下段左
フローティングバックチェア  x2脚

下段右
イージーチェア

 

 

参考書籍、引用(筆者和訳)

LE CORBUSIER – PIERRE JEANNERET CHANDIGARH, INDIA

LE CORBUSIER – PIERRE JEANNERET CHANDIGARH, INDIA

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